寿虎屋酒造の銘柄 『霞城寿』の
『霞城(かじょう)』は山形城の愛称。
山形城主は
足利将軍時代にさかのぼり、斯波兼頼公。
将軍徳川家康公と同時代は最上義光公。
(最上義光公は日本酒造りに力を注いだお殿様で有名です。)
最上氏以後は
東北の外様大名に備える江戸幕府の配慮から、
山形城主は幕府の中枢譜代大名(将軍家血縁者)
で固められた事は史実として有名です。
弊社は山形城東門前で日本酒を古より代々醸してきた蔵元。
やわらかい春の季語、霞・かすみ。
かすみがしろ『霞城・かじょう』の冠名を拝し、『霞城寿』として
現在に至っています。
明治44年5月8日山形歴史史上に残る市北の大火、焼失個数1313戸、
損害被害額は数百億円の大惨事で三百年以前の過去帳等、記録は焼失。
寿虎屋酒造もまさしくこの渦中に巻き込まれ、家や店舗を失ってしまいました。
現存している記録として、さかのぼる事が出来るのが約三百年前(1715年~)
将軍徳川吉宗公の江戸享保年間までという訳です。
(蔵元菩提寺の総本山 知恩院・大本山 増上寺への問合せはまだしていません。)
「このような時こそ災いを転じて福としなければならない」、
現蔵元の曾祖父、保吉(やすきち 38歳)の指揮のもと新しい酒造りが始まりました。
8代目保吉は明治、大正、昭和にかけて激動の時代を生き抜き、
現在の寿虎屋の基礎を築きました。
酒造りから始まった保吉の情熱は、地方産業にも大きな影響を与え、嘱望されて、
山形市会議員、山形県酒造組合連合会会長、山形県会議員、
山形商工会議所会頭を経て、山形市長に選任され、
12年間にわたり困難な山形市政にも情熱を傾けてきました。
そして、戦後初めての名誉市民に推挙されました。
そして昭和、平成と新たな時代を迎え、
山形市政100周年時には
記念事業であった市立病院済生館拡張工事に協力するため、
古より受け継いできた酒蔵の土地を全て山形市に提供し、
平成元年に山形市高瀬地区に移転して参りました。
三百年以上もの長い歴史が培った酒造りへのこだわりが、
近代的な最新設備の酒蔵と溶け込み、・・・・・
歴史を誇る虎屋の製法と、研ぎ澄まされた杜氏の感性が深い味わいを醸し出します。
最新営の設備はそれらと融合し、『霞城寿』の酒はさらに極められ
現在に至っています。
2019年を迎えると直ぐ、創業歴史を見つめ直す機会を思いがけずSNSで頂きました。
徳川幕府との強いかかわり、切っても切れないご縁に想いを馳せ、
改めて感謝の気持ちでいっぱいの年始となりました。
情緒あふれる、山寺・山形紅花文化を象徴とする日本遺産を
テロワールとした酒造りに邁進する寿虎屋酒造は、
これからも唯一無二の日本酒を心を込めて日本中、世界中の皆様にお届けいたします。
皆様、どうぞご愛顧下さいます様、お願い申し上げます。